幼児期の言葉の発達の過程や特徴を言語聴覚士が解説!「初語」「一語文」「潜伏期」「命名期」とは?

初語そして一語文へ

初めての言葉(初語)は一般的には生後10~12か月に発生することが知られている。初語は「ママ」や「ブーブー」「マンマ」など同音の反復で構成されている場合が多く、口唇を閉じた状態から開くことで発生する子音である/m/や/p/、/b/などの音韻が使用されている場合が多いといえる。
もともとはコミュニケーションの機能をもっていなかった哺語がジャルゴンの段階を経て初語となるのである。
初語の時期の特徴としては、第1に幼児は単語レベルで言葉を発するのであって一続きのいわゆる文章では話せない。第2に彼らが発生する単語の多くが成人が普通に使っている単語ではなく、いわゆる幼児語(「犬」に対して「ワンワン」、「猫」に対して「ニャンニャン」など)である点だ。

第1の特徴「一語文」について

第1の特徴である単語単独の発声であることを「一語文」と呼んでいる。
しかし、この場合、幼児は1個の語彙として、あるいは1個の名詞として発語しているというのではなく、そこにははるかに多くの機能を同時に含んでいる場合が多いのである。
たとえば、食べ物のことを「マンマ」と発語したとき、その意味は「あっ、食べ物がある」とか「この食べ物を食べたい」とか「あの食べ物をこっちに寄こせ」とかいろいろな意味の可能性があり、機能的には、単なる叙述から要求、意図などいろいろなものが含まれている。
すなわち、単語1つであるけれどもそこには1つの文としての機能をもつ表現であることから「一語文」と呼ばれているのである。したがって、幼児が発語する一語文の意味やその解釈は、単にその前後の文脈的なものだけでなく一語文が発せられた相手との関わりを抜きにはできないのである。
そのため、児童期に発達する不特定多数の聞き手に一方向的に発話していく「二次的ことば」と区別して「一次的ことば」と呼ばれている。

「一次的ことば」の特徴

「一次的ことば」の特徴としては、①1対1の対話的関係のなかで機能するもので話し手と聞き手が交互に交代しながら行うキャッチボールのようなもの、②その相手は生活を共にするなかで経験を共有できる特定の親しい人であること、③その場で起きていることや共有している経験の具体的内容が発語されること、④言葉だけでなく場面の状況からその内容を理解することがあること、をあげている。

第2の特徴「幼児語」について

第2の特徴である幼児語において重要なのは、幼児が幼児語を独自に創作しているのではなく、同一の言語圏や文化圏では一定の社会文化的共通性がある言葉であり、養育者が児に対して使用する言葉でもあるということである。
しかし、一方で幼児一人ひとりが発語する幼児語が表現する意味は各幼児において個人的なものであることが多く、ある幼児にとっては「ワンフン」が「犬」だけでなく4本足の動物全体を指す表現(般用現象)であったり、ある幼児にとっては自分の家で飼っている特定の犬に対して限定的に使用される。
したがって、幼児語が成人で用いられている単語の単なる言い換えではないことは重要だし、当然のことながら、このことは前述の「一次的ことば」であることと深い関連をもつのである。

命名期と語彙の増大

この初語から児の語彙が飛躍的に増大するかというとそうではない。1歳半まではむしろあまり語彙は増えず、「潜伏期」と表現されている。
急激な言語発達が生じるのは1歳後半から2歳のときである。1歳後半の幼児が「これなに?」としきりに尋ねるいわゆる「命名期」に入って語彙は飛躍的に増大するのである。
この時期の幼児の心性に「象徴機能」と呼ばれるものが強くなり、いろいろなものを何かに見立てたり、シンボルを使用する能力が急速に発達することがその背景に大きく存在している。
この象徴作用は、幼児がこの時期にいろいろな「モノマネ」たとえばテレビ番組のヒーローのしぐさを真似たりする行動に見出すことができる。象徴化のプロセスが内的に高まっているということの重要性は、言葉がシンボルそのものであることを考えれば当然である。
2歳には200~300語3歳時には1000語程度の語彙を獲得し日常の言葉のやりとりがほぼ不自由なくできるようになる。
また、2歳頃の命名期以前では名詞が大半であったものが、命名期以降、二語文の獲得とともに、動詞・形容詞・副詞などが獲得され2歳半までにほぼすべての品詞がそろうといわれている。

理解言語と発語可能言語について

発語する言語の獲得をその過程は下記のとおりです。
①自分では発語できないが他人の言葉の意味はわかり、動作や行動を示す「理解の段階」
②呼吸機能や発声機能をうまく調整しながら構音器官の運動を適切に制御することによって、言語音を正確に発声させる構音能力が要求される「模倣の段階」
③理解や記憶している語を発語する「生産の段階」
理解言語が発語に先行する結果、幼児期においては理解言語の数が発語可能な語彙数を上回っているし、理解言語自体の数の正確な測定も困難なことから、一般に「語彙」といえば発語可能言語を指している。

子供が言葉を覚えるために大切なことは?指さしや共同注視、社会的参照などを言語聴覚士が説明

子どもは1歳を迎える頃から言葉を発し始め、2歳近くになるとまさに「爆発的に」言葉を覚え、急速に語彙数を増やしていく。
中学、高校時代に英単語を覚えるのに苦労をしていた皆さんも多いと思うが、子どもはなぜ生まれて数年の間に数多くの言葉を覚えることができるのだろうか。

言葉を覚えるにはタイミングがある


言葉を覚えることに関してまず大事なことは、言葉の獲得をはじめ、発達の多くの側面には、その特性を獲得するための限られた期間(臨界期)があるということだ。
その典型的な事例として、幼少期に人間の環境で育たなかった野生児として有名な「狼に育てられた少女」の事例をみてみよう。
この少女は狼の群れから保護されたときには推定8歳位だったのだが、その時点では言葉を話すことはできなかった。
そして、その後亡くなるまでの約9年間をシング牧師の熱心な教育の下、人間の社会で過ごすのだが、その間に不明瞭な言葉を50語ほどしか獲得することができなかった。
この事例からもわかるように、出生から乳幼児期にかけての生育環境が適切であることが、子どもが言葉を獲得する能力を発達させるのに重要な意味を持っているといえる。
もちろん、英語など母国語以外の第二外国語の習得の例などを考えてみれば、乳幼児期を過ぎても言葉を覚えるのは不可能ではないことはわかるが、それらは母国語という下敷きがあってこそ成立するものだし、なによりも単語の暗記や文法の学習など、乳幼児期に母国語を獲得する際には必要としない、非常に多くの労力を要するのである。

狼に育てられた少女について

インドの山中で狼の群れから2人の少女(アマラとカマラ、推定8歳と1歳半程)が、シング牧師によって救出された。発見された当初は狼の習性を身につけており、言葉を話すこともできなかった。
この少女を人間の社会に適応させようとした記録が残されている。この事例に関してはその記述や解釈にさまざまな議論があるが、少なくともこの例から、人間の発達における初期環境の重要性と、発達における臨界期の問題について考えることができよう。

親子のコミュニケーションによって言葉を覚える


指差しと共同注視

言葉を話し始める前の1歳前後から、子どもは自分の身の回りのものに対してしきりに指差しをするようになる。また多くの場合、指差しと同時に言葉に似た発声(哺語)をする。
このとき、一緒にいる親は、子どもが指差しをしている対象に視線を向けることになる。これは「共同注視」といい、親子の間で一つの共通した対象に注意を向けるというコミュニケーションが成立したことを示している。
この指差しについて、親は子どもが対象を指示していて、またそれに伴う発声は子どもがそのものの名前を呼んでいる(または呼ぼうとしている)、または親に「これは何」と質問している、と認識することが多いようである。
その結果、親は子どもに対して、「これは○○だよ」とその名前を説明する。この繰り返しが、子どもが言葉を獲得するための大切な活動なのだ。
じつは、子どもの指差しは、親に対象を指示して「名前を教えてはしい」という信号を送っているわけではないし、この時期の発声は意味のないものであることが多い。
つまり親は子どもが「知りたがっている」と勘違いして対象の名前を子どもに教えるのだが、結果として子どもが物の名前を覚えることに非常に役立っているのである。

指差しについて

乳児期の指差しの意味について、子どもの近くに玩具などがあった場合、よくわからないものや、少し不安なものに対して指差しを行うことが多いといわれる。
反対に興味があって安心できるものに対しては手を伸ばし、近づこうとすることが多い。

子どもは親の表情を読み取る

子どもが注目している対象に対して、親がその対象の名前を呼ぶと、子どもはその名前をはやく覚えることができる。しかしながら、親はいつも子どもが注目しているものの名前を呼ぶとは限らない。
たとえば、子どもがコップに注目しているときに、親がたまたま空を飛んでいる飛行機を見て、「飛行機よ」と言った場合、子どもはコップを「飛行機」と覚えてしまうかというと、そのようなことはあまりない。
子どもは親の言葉と自分が注意を向けている対象とを機械的に結びつけるのではなく、親の視線など言語以外の情報にも注目していて、親と自分が同じものに注目している場合にのみ、親の言葉をその対象の名前として認識するのである。
つまり、言葉の獲得には言葉によるコミュニケーションが重要な役割を果たすのはいうまでもないが、それと同じくらい非言語的な要因も重要であるといえる。
なお、言葉の問題に限らず、子どもはさまざまな場面で親の言葉や表情などを確認する傾向にあり、この行動は社会的参照と呼ばれている。

社会的参照について

子どもは初めて見る玩具などに出会ったとき、その玩具が安全であるかどうかを確認するために、親の表情を利用する。これを社会的参照と呼ぶ。
子どもは発達の初期からこのような非言語的な情報の読み取りに敏感である。たとえば、生後3か月の乳児は、母親が笑顔から無表情に変わると、とたんに不安定になり泣き出す。
また、生後6か月の乳児は、母親の指差しに対し、指そのものではなく、指の指し示す方向や対象の方に注目する。

効率よく覚えることができる


子どもが短期間でたくさんの新しい言葉を覚えるもうひとつの要因として、認知的制約と呼ばれる、ある範囲だけに注目しその他の可能性を強制的に除く能力の働きがあげられる。
認知的制約にはいくつかの種類があるが、その中のひとつの「事物全体制約」について説明する。たとえば、初めて象を見た子どもに、親が「これはゾウというのよ」と教えたとしよう。
そのとき子どもは、象の全体を「ゾウ」として認識する。つまり、「ゾウ」という言葉の示す対象が、象の色でも、泣き声でも、鼻でも耳でもなく、象の全体であるということを理解するのである。
このように、認知的制約によって言葉とそれを示す対象との関係を理解するのがより容易になり、言葉の獲得が効率的に行えるのである。この認知的制約をはじめとして、言葉の獲得の背景にはいくつもの高度な知的活動が存在している。
また逆に、言葉の獲得を通して認知的発達が促されるという側面もある。

子供の言葉の習得の過程【模倣説】【生得説】について言語聴覚士が解説!

はじめての言葉

人間の乳児は1歳前後から言葉を話し始める。
個人差はあるが、2歳の時点ですでに100ぐらいの言葉を話し、500ぐらいの言葉を理解することができる。
言葉を話す能力は、ある時期が来ると急に現れるわけではなく、それ以前にも言葉を話すために必要なさまざまな準備段階を経ている。
また、言葉をしゃべることができるようになった後も、大人と同様の文法に沿った会話ができるようになるには、もう少し時間がかかる。

言葉を覚える道筋:模倣説と生得説

子どもが言葉を覚えるようになるには、どのような過程をたどっていくのだろうか。
たとえば、中学生になって初めて英語を学習する場合、単語や文法を先生から教わったり、教科書を読んだり、書き取り練習をしたり……と言葉を習得するためには特別な勉強が必要になるが、子どもが母語(親と同一の言語)を覚える際には、多くの場合親が特別な教授をしたり、子どもが特別な訓練をするわけでもなく、言葉を自然に習得していく。
子どもがこのように自然に言葉を覚えていくメカニズムについては、さまざまな説がある。その代表的なものをいくつかあげてみよう。

模倣説

模倣説とは、親の言葉がけを中心として、テレビやラジオの音声など、周囲に子どもが聞くことのできる言語刺激がある場合、子どもはそれを物まね(模倣)することによって言葉を獲得するというものだ。
子どもは出生後に放っておかれただけでは、自動的に言葉をしゃべれるようにはならない。つまり、出生後の生育環境が重要なのだ。特に重要なものが、母親をはじめとする人的な環境である。
特に出生後間もない乳児は、母親との密接な1対1の関わり(母―子相互作用)のなかでその後の成長、発達に必要となるさまざまなことを学習するが、言葉もその一つであるといえる。
はじめのうちは模倣しているかどうかもわからない物まねが、やがて模倣の対象である親がようやく理解できる程度になり、その模倣によって親子の間のコミュニケーションが続けられていくうちに、段々とはっきりとした、意味のある言葉へと変化していく。
また、言葉の発達の遅れについて、知的発達の問題と並んで、言語的な環境が一つの要因になると考えられている。すなわち、たとえば親がとても早口であったり、極端に子どもへの言葉がけが少なかったりすると、子どもは模倣を通した言葉の獲得が困難になり、言葉の発達に遅れが生じる可能性があるのである。

生得説

生得説とは、言葉を獲得するのには遺伝的に規定された仕組み(普遍文法)があるという考え方だ。従来、子どもが言葉を覚え、話すことが可能になるための条件としては、親をはじめとした周囲の豊富な言語的環境が必要であるとする模倣説が有力とされてきたが、近年の研究のなかでは、生得説の重要性が指摘されている。
実際、「言葉を獲得する(可能性を持つ)」という能力は先天的、つまり人間という種に生まれながらにして備わっているものである。また、たとえば、言葉自体は親の模倣の役割が大きいとしても、乳児は生得的に周囲の音や音楽よりも、人間の声や言葉に対してより高い感受性を示している。
このことは、周囲の環境から人間の言葉を選択し、言葉を模倣しやすい状況を作り出すことができることを意味し、これは環境の知覚におけるバイアス(偏り)理論とも呼ばれている。
さらに、言葉の獲得や言語発達の基礎にある認知発達は、ほとんどの子どもが表2に示したような、ある決まった道筋をたどる。この道筋が規定されていることも、ある程度は環境に左右されない、生得的な側面があることを示すものといえよう。

遺伝も環境も大切

環境の影響を重視する模倣説と、遺伝的要因を重視する生得説という2つの理論は、どちらか一方のみが重要、というわけではない。
現在では出生後の言語環境と、生得的な側面とのどちらも言葉の発達に深く関係があり、また、この二者は互いに影響を与えあっていると考える、相互作用説が主流となっている。

乳児の遊びの意味とは?乳児における遊びの意義を言語聴覚士が解説!

そもそも遊びとはなにか?

遊という字は、子どもが水上にただようさまを表す字形から発展したとされていることからも、ゆらゆらと浮いていたり、さまよい歩いていたりという無目的な状態を示していると思われる。
ホイジンガは、「遊びの目的は行為そのもののなかにある」と説明している。
つまり、遊ぶ目的を検証することや、その結果を評価することが無意味であることを指摘しているのである。
自発的でおもしろく、その行為を楽しむことが、遊ぶという意味なのだということだ。それでは、乳児の遊びとはいったいどのような意味があるのだろうか。

乳児における遊びの意義


心地よさの追体験

授乳の場面を見たことがあるだろうか。乳児はお乳を懸命に飲んでいるかと思うと、時折、飲むのを止めて、親に話しかけたり微笑んだり、乳房や哺乳瓶をさわったりしていることがある。そのようなとき、親は、「遊ばないで飲もうね」などと飲むことを促すことがある。このとき、乳児は周囲の世界を積極的に探索していると考えられている。
生後半年くらいまでの乳児は、周囲の人やものを見つめたり、手を伸ばしてつかんだり、さらにはつかんだものを口に運んで感触を楽しんだりする。そして、興味のあることは繰り返し繰り返し行おうとする。
たとえば、小さな玉を手にいっぱいつかんで、それを床に一気にまき散らす場面を考えてみよう。
散らす、危ない、食べてしまわないかなどという心配が、私たちの頭をよぎることが多いと思う。しかしながら、その活動(動作)をしている乳児にとってはどのような意味があるのだろうか。
小さな玉をつかんで放り投げるというのは、単に楽しいというだけではなく、どのくらいつかめるか、どのくらい広く、あるいは遠くに飛ばせるかを確かめているようにも見受けられる。
つまり、実験とか挑戦のような要素が含まれた活動と考えられる。乳児は心の内面の思いを周囲の世界に一気に吐き出すような活動を通して、心地よさを追体験しているといえる。私たちの心配をよそに、実に楽しい活動(遊び)をしているに違いないと思われる。

働きかけと待ち受け


これらの活動は、乳児個人での活動ばかりでなく、周囲の人との関わりのなかで行われることも多く、人との関わりへの関心を育むことになる。その代表的な活動が、いないいないばあに見られる。それは周囲の人からなされる乳児の関心を引く働きかけに、乳児が応じる形で始まる。
そして、やがては、乳児が主導権を持って周囲の人が応じるというように発展していく。
このプロセスで乳児が獲得することは、ターン・テーキングといわれている。すなわち、周囲の人から働きかけられているときには自分からの働きかけを控えて、応ずることに専念することだ。
そして、周囲の人からの働きかけが終わったら、自分が働きかけるという活動である。いないいないばあの他にも、親子の言葉のやりとり、ボール遊び(転がす)なども、このような働きかけと待ち受けを上手にこなせることによって可能な活動になる。

見立てとふり


乳児は、周囲の人とのやりとりを通して、さまざまな経験を積み重ねていく。
その経験は記憶として残され、そこから活動の予想(予期)が可能となる。さらに、周囲のものの性質や利用法を理解するにつれて、ふり遊びといわれる行為が見られるようにもなる。
ふり遊びが成立するには、人やものを見立てるという行為が必要だ。見立てとは、たとえば積木を本物のバスとして取り扱うように、本物をシンボル化するために乳児が身近なものを用いるということだ。
この本物と代用物を関連づけているのが、乳児の心のなかの本物についてのイメージなのである。人についての見立ても、泣き真似や食べるふり、寝たふりの動作を表現するようになる。
これらの見立ては、周囲の人からの働きかけで活動させられていた乳児が、自分からの働きかけによって周囲の人を動かすことができることを発見したことによるものと考えられる。
このように、自分の行為に対する周囲の人の反応を通して、行為に何らかの意味を見出すことが、ふりの成立に関係しているといえる。
やがて、このふりを活用して、幼児期における仲間関係での遊びへと展開していくのである。

乳児の身体面の発達を解説!ハイハイから二足歩行へ

身体面の発達


乳児は約3か月で首がすわるようになり、4か月で支えられると座れるように、8か月でハイハイ、9か月でつかまり立ち、そして生後1年頃にひとり歩き、いわゆる二足歩行が可能になる。これは、完成する基本動作の集大成であるといえる。
乳児の二足歩行が可能になるためには、まず身体面の発達が必要である。2本足で移動するためには、足底で重心の高い身体を支える必要がある。つまり姿勢保持機能の発達が必要になる。
さらに、歩くためには、重力に反して足を持ち上げるという抗重力機能が必要である。そして、一方の足を踏み出し、持ち上げている間、他方の足で体重を支え、身体の重心をコントロールし、バランスをとっておかねばならない。これは平衡機能が発育してはじめて可能になる。
二足歩行はこうした複数の機能の協応関係のうえに成立している複雑な運動である。
そのため、乳児は、二足歩行を始めた頃は、身体を支える足の強さの程度がわからず歩行に失敗したり、足の踏み出しを早くすることで身体を支える時間が短くなるように工夫したり、といった試行錯誤を繰り返す。そして次第に二足歩行に必要な身体運動が可能になっていく。
これまでみてきたように、二足歩行は生後約1年後に可能になるが、生まれた直後の乳児でも二足歩行と似たような動作をすることが知られている。
これは原始歩行と呼ばれている。乳児の脇をもってやり、少しずつ前に進めてあげるのである。すると乳児は足を交互に動かして、歩くような動作をする。
ただ、この原始歩行は生まれた直後に現れるものの、2、3か月すると消える。そして生後1年経った頃に二足歩行が再び現れるのである。
この現象はどのように考えられるのか。現在のところ、歩行動作が消えている期間に、身体機能面でのレディネス(readiness)が少しずつ整えられ、それが1年後の独立歩行として出現すると考えられている。

心理的要因


2つめの要因は、こうした身体面での発達に基づき、乳児自身が自らの力で立ち、歩き出そうとする意欲をもつ、ということである。
一般に、ある行動が可能なだけの準備ができている状態をレディネスと呼ぶ。
身体の発達により、歩行可能な身体機能面のレディネスができると、それを活用したい、という意欲が生まれる。そして、二足歩行への意欲は、子どもがもつ自立への志向の始まりともいえる。
そこで、周囲の大人には、こうした乳児の意欲を大切にしながら、歩行への発達を促していく、という姿勢が求められる。
歩行は乳児の自立現象のひとつである。幼児期になると、便意を感じたときは、歩いてトインに行き、それまでは我慢する、ということが可能になる。
このことは自分の身体を意図的に統制することができるようになったことを意味する。
こうした現象は、子どもの身体の自立へとつながる。つまり、身体的に自分でできることが増えてくるのである。
また、二足歩行が可能になる生後1年頃には、初めて意味のある言葉を話すようになる。
つまり、生後1年頃には、歩行という移動手段と言葉という表現手段を獲得するのである。
これらの発達が上台になって3歳前後になると、「自分で~する」という自己主張が現れ始める。これが第一次反抗期と呼ばれる現象である。
第一次反抗期は精神的自立の最初の出現であるといえる。

親と子のやりとりでかみ合うために必要な赤ちゃんの能力とは?

親と子のやりとりでかみ合うために必要な赤ちゃんの能力とは?

親と子どものやりとりがどのようにして、かみ合うのかについては、2つの問題があるといえる。1つは、かみ合うために必要な能力の問題であり、もう1つは、かみ合っているように見えるという問題である。
第1の問題に対しては、子どもと大人のコミュニケーションがどのように展開していくのかについて説明する必要がある。これまでの研究から、人はコミュニケーションをとれる能力をもって生まれてくることがわかっている。
たとえば、生後間もない赤ちゃんは、大人の発声に対して、それに呼応するかのように、発声したり、微笑んだり、握った手を広げたりする。もちろん、親もその反応に呼応する形で、徴笑んだり、発声したりする。また、赤ちゃんが大人の表情を模倣できるという証拠もある。
大人が、舌を突き出す、日を開ける、唇を突き出すというそれぞれの表情に対して、偶然よりも高い確率で、同じ表情をしていたという報告や、さらに幸福、悲しみ、驚きといった表情においても模倣が確認されたという報告がある。
このような結果は、赤ちゃんが、大人の働きかけに対して、ただでたらめに応答しているのではなく、ある意味、コミュニケーションをコントロールする能力をもっていることを示している。
さらに、こうした赤ちゃんの働きかけは、大人がどのように関わればよいかの反応を引き出すものにもなっている。
たとえば、お乳を吸う行為において、赤ちゃんが吸うのを止めたときを、お母さんの方は赤ちゃんを揺り動かして関わるための手がかりとして解釈しているようである。それはまるで、一方が話をしているとき他方が黙っていて、話が終わったら話し始めるといった基本的なリズムを作り上げているかのようである。
また、母親が赤ちゃんとのコミュニケーションに反応しなくなると、赤ちゃんの方から母親にコミュニケーションの参加を促すかのような働きかけがしきりに行われるという結果も報告されている。
これらの結果を総合すると、コミュニケーションをするための能力を赤ちゃんが少なからず持っており、大人も自然にそれに呼応しているのだといえる。

代弁というやりとり

しかしその一方で、上にあげた第2の問題のように、親と子どものやりとりがかみ合って見えるということも考えられる。赤ちゃんが言葉をしゃべらないということは、そもそも、コミュニケーションをとるための手段が大人より少ないという意味で、対等でないともいえる。
それは、自分の意図や感情を伝えたり、自らの行為を説明したりすることができないことを意味する。では、親と子どもは、どうやってそのやりとりを進めているのか。この問題を考えていく上で、興味深い母親の行為がある。
それは、代弁といわれるものである。
通常、代弁は、誰かの代わりに話をすることだが、岡本は、それを大人が、発話形式として子どもを発話主体にし、子どもの意図や行為について言語化すること、あるいは、子どもの視点から言語化された大人の発話と考えている。
たとえば、赤ちゃんが、転んだりぶつかったりして泣いているときに、「いたくない、いたくない」と母親が発する言葉がそうである。痛いという状態は、そのとき赤ちゃんの側にあるのであって、お母さんの側にはない。
通常、私たちが「いたくない」と言うのは、痛いときに、その痛みを忘れるために使っているだが、それを痛いはずの赤ちゃんに代わってお母さんが発しているとすれば、それは代弁ということになるのである。
言葉を話さない乳児に対して母親が代弁を用いることで、やりとりを成立させており、それは、結果的に、話せるようになるずっと以前から、赤ちゃんをやりとりに巻き込んでいる可能性がある。
このことは、第1の問題である赤ちゃんの「かみ合うために必要な能力」を否定するものではなく、むしろそうした能力があることが前提になっているといえる。
つまり、赤ちゃんが親の働きかけに呼応した形で応答できているから、その行為に対して代弁という形式がとられているのだといえる。
加えて、この代弁は、いずれ親になっていく上で、人が「生まれつきもっている」能力といえるかもしれない。
第1の問題としてあげた赤ちゃんがもっているコミュニケーション能力を引き出すためのそれこそ人が「生まれつきもっている」能力なのかもしれない。

赤ちゃんは泣くことで情緒を知らせているのか?社会的参照とはなにか?

赤ちゃんは泣くことで情緒を知らせているのか?

「赤ちゃんの仕事は泣くことだ」とよく言われている。
驚くべきことは、生後3日目までに母親は自分の赤ちゃんの泣き声と他人の赤ちゃんの泣き声には異なる反応を示すようになると言われていることだ。
生後1か月の頃になると養育している多くの親が、自分の赤ちゃんの泣き声が「空腹」のためなのか、どこか「痛い」のか、「怒り」なのか、「眠い」のかのその意味を感じとるようになると言われている。
養育している親の「敏感さ」にも支えられ、新生児や乳児の生理的な状態は泣き声を通して伝わっていく。これは彼らの「喜怒哀楽」の表現なのか?それとも、単に彼らの「生理状態」の表れに過ぎないのか?

赤ちゃんは喜怒哀楽を模倣するのか?

フィールドらの報告では、新生児(生後平均36時間)の眼前で検者が「喜び」「悲しみ」「驚き」という3つの表情をしてみせると、新生児がそれらを「識別」し、模倣することを報告している。もちろん模倣ができたから情緒を産出していることにはならないが、興味深い知見であることは確かだ。
フィールドらの研究結果は、赤ちゃんがお母さんの喜怒哀楽の表情に自分の表情をシンクロしようとしているかのように感じさせる。
お母さんの「喜び」の表情を「喜び」として、あるいは「驚き」の表情を「驚き」として理解して反応しているというよりは、ここでは模倣という行動を通して相互作用するという客観的事実に限定する慎重さが必要だが、まさにその相互作用にこそ、この現象の意味を解く鍵があるように思える。
母親は自分の赤ちゃんの「泣き」に非常に敏感である。生理的現象としての「泣き」にいろいろな意味を感じようとする。そして一方で、赤ちゃんはお母さんの喜怒哀楽の表情に敏感に反応するのだ。

社会的参照とは?

むしろ新生児や乳児における喜怒哀楽の表出を単なる生理的反応の問題としてとらえるのではなく、母子を中心とした社会的相互交渉の視点で考えてみることが重要だろう。
産科病院の新生児室で一人の新生児が泣き出すと他の新生児も一斉に泣き始めることがよく知られているが、サギとホフマンによれば、この現象は人の「共感性」の最も早い出現としてとらえられるというのだ。
最初に述べた新生児の種々の泣き行動もその微妙な違いに敏感な養育者の選択的な反応に支えられて、単なる泣き声が「信号」としての意味をもつようになる。
泣き声を通して親子の間に情緒の伝え合いが始まるのだ。泣き声に限らず、微笑や喃語も新生児や乳児に養育者を注目させたり具体的に関わらせたりしている。
生後8か月から10か月ぐらいに、母親に抱かれている乳児が、たとえば見知らぬ人にあったり、見慣れないものに遭遇したりすると、彼らは母親の顔をうかがうことをよくする。母親がそのとき怖い顔をしていたり、嫌悪を示していたりすると、泣き出したり出そうとしていた手を引っ込めたりするのだ。
この「社会的参照」と呼ばれる現象は、乳児にとって愛着の対象である養育者の情緒を汲みとる能力があるとさえ感じさせる。
言葉によるコミュニケーションができない新生児や乳児は、彼ら自身の精一杯のコミュニケーション手段を用いて養育者である親に自分の情緒に気づいてもらうことで、ますます両者の社会的相互交渉を高めていて、一方で乳児自身、養育者の表情や声の調子、動作などを手がかりに自分の行動の質を高めていくということを行っている。
新生児や乳児の場合、それこそ大人と同じレベルでの情緒の具体的表出がいつから始まるかが問題なのではなく、社会的相互交渉の質と量を高めるための重要な情報としての「情緒の伝え合い」は、出生の直後から養育者である親の敏感さに支えられ機能しているのだ。
生理的な不随意的な反応であったものが「喜怒哀楽」として意味をもつのはその送り手と受け手の相互交渉の高まりの結果と入れるのではないだろうか。

子供は乳児の頃から親の行動を見て学ぶ能力がある

乳児には、親の行動もまねる能力がある


昔から、「子は親の背中を見て育つ」「子は親の鏡」「この親にしてこの子あり」ということわざがあるように、親は子どもが世のなかのことを理解していく上で貴重な存在であるといえる。
親から学ぶ上で、子ども、特に赤ちゃんがもっている能力としては、模倣と社会的参照をあげることができる。赤ちゃんには、舌を突き出す、口を開ける、唇を突き出すというそれぞれの表情の模倣がみられる。これを共鳴動作と呼ぶのだが、ちょうど一方の音叉を鳴らして他方の音叉に近づけたときに、ふるえて音が出るように、大人の表情に対して、同様の表情をつくる。これがすでに生後1か月未満の赤ちゃんに見られることがあるのだ。
ところで、生後間もない赤ちゃんが自分の表情を客観視することなく、大人の表情を模倣できるというのは不思議なことである。
この点に関して、赤ちゃんが自らの動作によって、親の動作に一定の変化が起こることを発見することに喜びを感じると言われている。
たとえば、赤ちゃんが「あっうう」と声を出せば、親がその声をまねることで、赤ちゃんの働きかけに応答する。そうした親による赤ちゃんの行動の模倣を、赤ちゃんはおもしろがって、繰り返す。親も、それに応えて、また模倣する。
そうしたやりとりが繰り返された結果、赤ちゃんは大人の表情や動作という「手がかり刺激」に対して、同じ表情や動作で反応するようになると言われている。
その後、8~9か月くらいになると、モデルの声やしぐさが観察されたすぐ後に模倣するといったように、模倣も意図的になり、特に、興味を覚えたものが模倣されるようになる。
例えると、テレビを見て興味を引いたキャラクターの声やふりをまねるようになる。さらに、1歳半ばくらいになると、ある程度時間が経過した後に、模倣が見られるようになる。
これを延滞模倣というのだが、かつて見たり聞いたりしたものが表象(イメージ)として記憶のなかに定着していることをうかがわせられる。例えば、親のなかには、普段あまり意識していないような言葉ぐせやしぐさを、あるとき突然赤ちゃんがまねて、思わず苦笑した経験がある人もいるのではないか。

親の表情を参照する能力


一方、親の反応をみて、赤ちゃんがすべきかどうかを決めているようにみえる行動がある。これを社会的参照行動という。このとき、親が安心した表情や徴笑みを示すと赤ちゃんは進んで行動するが、不安な表情を示すと行動するのを止めようとする。
この社会的参照行動は生後すぐに見られるものではなく、外にある環境やモノと親の表情との間に関係づけを行うことができるようになってから起こる行動である。海外の研究では、こうした参照行動がおよそ10か月を過ぎた頃からみられることがわかっている。
しかし、日本の赤ちゃんは、親の表情を参照する行動をとらないようである。社会的参照で用いられる情報には、視覚的断崖の実験で検討された「喜び」や「恐れ」といった「情緒の情報」と、顔の向きや視線の先など、人が何に対して関わっているのかという「関与の情報」があるとしている。
日本の赤ちゃんは、「情緒の情報」よりも「関与の情報」を有効視しているようであること、また、視覚的断崖の実験の追試では、社会的参照行動はあまりみられず、むしろ、手で崖の部分を叩いたりするなど、そこが渡れるかどうかの実験的行動を取っていることが示された。
このように、赤ちゃんの模倣や社会的参照は、まだ十分解明されたとはいえないが、赤ちゃんが親という対象をとおしていろいろなことを学ぶこと、そして、学ぶために最低限必要な能力を備えていることが伺えるのではないか。

エントレインメント、情緒的コミュニケーション、基本的信頼感、愛着(アタッチメント)、安全基地について言語聴覚士が解説!

社会的な存在としての乳児


みなさんは、親と子供(乳児)が楽しそうに関わりあっているところを見たことがあるだろうか?
親の「○○ちゃんはかわいいね」等という愛情豊かな語りかけに対して、その声に合わせるように、乳児は手足をバタバタと動かしたり、はほえんだり、声を出したりする。また、乳児が泣いたり、ぐずったりすると、親はそばに来て、抱き上げ揺すると、機嫌がよくなったりもする。
このように親子のやりとりで大切なことは、乳児の行動が親の行動によって上手に引き出されている、また、親の行動も乳児の行動によって引き出されているのである。
つまり、乳児は親からの働きかけに対して自分の手足を動かして応答し、その様子を見て親はまた働きかけるのだ。
このやりとりでやがて、親の言葉と乳児の体を動かすタイミングが同調するようになる。
この現象は「エントレインメント」と呼ぶ。

能動的な存在としての乳児

乳児の動きやはほえみ、発声、泣きなどは、親によって敏感に感知され親がその状況に応答するということも多い。このことから、親子間での相互の交渉は、互いに情緒的な信号を発しており、それらを感知し、適切に反応するという形で進行しているといえる。このことを、「情緒的コミュニケーション」と呼ぶ。
20世紀の中頃まで、乳児は目も見えず耳も聞こえない何もできない存在と思われてきた、近年までの乳児の研究によって、彼らがさまざまな能力を持って生まれてくることがわかってきた。確かに、乳児は、歩くことも話すこともできないが、自ら積極的に外界(周囲の人や物)に働きかけ、全身を使って周囲の人とコミュニケーションする存在なのだ。

基本的信頼感の獲得


子どもは、自分を保護してくれる大人の存在なしでは生きることは難しい。保護されている間、子どもの養育を行う大人(多くの場合、親)の関わり方が、子どもの発達に大きな影響を与えることは容易に考えられることである。
エリクソン(Erikson,E.H.)は、乳児期の発達課題として「基本的信頼感」の大切さをあげている。つまり、乳児の時期に親が子どもに抱かせる大切な気持ちとは、生まれてきた社会(または家庭)は信頼できるのだという感覚を持てるということだ。
ほとんどの子どもにとって、生まれて初めて体験する社会は家庭であり、そこでの体験をベースにして、より大きな集団生活(たとえば、保育所や幼稚園、学校など)でもさまざまな人との関わりを展開していくことができるのである。

愛着の形成


基本的信頼感の獲得のもとにあるのが愛着(アタッチメント)という考え方である。
親子の相互交渉が日々繰り返されるうちに、次第に子どもと親との間に情愛的な絆が形成される。これは乳児の発達を理解する上で重要であり、また、その後の人格発達や社会的適応上も重要であることが学界においても認められている。
ボウルビィ(Bowiby,J)は、母親と子どもの間の相互交渉を維持するための反応(ほほえみやすがりつき、発声など)を「愛着行動」と呼び、そのような行動によって愛着が形成されると説明している。
エインズワース(Ainsworth,M.D.)らは、子どもが特定の養育者に対して持つ情愛的な絆のことを「愛着」と呼び、親への接近・接触を求める安定的・永続的な傾向の存在から理解できると説明している。
これらの考え方は、乳児の示す社会的・情緒的信号に対する親の応答の仕方が、愛着の個人差に大きな影響を与えるとするものである。
このことから、親が応答的であれば乳児は親を安心して頼れる存在として感じるようになるといえよう。また、乳児自身による親への働きかけが、親の適切な応答を引き出せるという結果を生じさせることとなり、乳児は自信を持つことになる。

安全基地としての親

親との愛着関係が確かなものになると、乳児は親を「安全基地」として用い、外の世界へ関わり始めるのである。そして、親の見守っている状況で安心して乳児は自分の周りの環境を探索し、不安や恐れの感情状態になると緊急の避難所として親への接近を行うのだ。
このようにして、乳児は親を心の安全基地として知覚や運動を確かなものにしていく。
発達の基盤としての安定した愛着関係の形成には、愛情豊かな親と乳児との積極的なコミュニケーションが不可欠といえる。絶えず繰り返される心の交流を通して、乳児は好奇心を働かせ、ものに対する認識能力、運動能力、言葉などを獲得していく。
親子の愛情関係は、このように安定した情緒の基盤としての基本的信頼感を育み、幼児期以降の発達を支える原動力の一つにもなっていくのだ。

用語解説

エントレインメント(entrainment)

生後間もなくして起こる母子間の相互作用のことで、母親の話しかけに対して乳児が手足や顔の表情を同調させる反応を行い、相互関係を深めていることをエントレインメントという。

情緒的コミュニケーション

母子間の相互交渉において、親も子も相互に信号を発し、感知し、応答するのであるが、そこには情緒的表出が深く関わっていることを情緒的コミュニケーションという。

基本的信頼感

エリクソンン (Erikson,E.H.)は、乳児期の発達課題として、親との適切な関係を通して自己を信頼し、また、自己を取り巻く環境も信頼できるような感覚の形成をあげている。

愛着(アタッチメント)

ボウルビィィ (Bowiby,J.)は、発達初期の母子の相互交渉による情緒的な絆のことを愛着と呼んだ。乳児の愛着行動には、親を呼び寄せる効果を持つ信号行動(ほほえみ、泣き、発声など)と、後追いやしがみつきなどの接近行動がある。

安全基地

エインズワース(Ainsworth, MD.)は、乳児が自分の世界を広げ外の世界に向かう際に、恐れや不安を感じる状況で、いつでも戻ってこられる心のよりどころの対象を安全基地としての役割を果たしているとした。乳児はそこで安全を確認すると、再び外の世界の探索へとそこから離れていく行動をする。

カンガルーケアとタッチケアを知っていますか?スキンシップはやはり大事なこと。

カンガルーケアとタッチケアを知っていますか?

子どもたち、とりわけ乳幼児期の小さな子どもたちにとってのスキンシップとはどのようなものなのか?私たちヒトは哺乳動物である。哺乳動物の特徴は、母親が自分の母乳を与えてわが子を育てるという非常に特殊な動物である。
自分の身体の一部(母乳)を与えるわけなのだから、その行為には報償機構が組み込まれているのだ。その報償(損失の償い)機構が“母子の愛着(アタッチメント)"と呼ばれる心理・行動といえる。
この愛着行動の発達に不可欠な伝達機構が、養育者と子どもの密着という感覚を通した情動の交換もしくは共有ということになる。そう考えてみると、新生児・乳児期あるいはそれ以後であっても、皮膚感覚を通してのスキンシップがヒトの場合にも不可欠なものであることがわかる。
この皮膚感覚を通しての交流、あるいは成長・発達促進の手法としてカンガルーケアとタッチケアがあげられるので紹介する。

カンガルーケアとは?

カンガルータアとは、オムツだけをつけた赤ちゃんを、母親が素肌に胸と胸を合わせるように直接抱く方法である。カンガルーが子どもを哺育する姿に似ているためにそう呼ばれている。親子が直接肌を合わせるところから、皮膚直接哺育(skin to skin care)とも呼ぶ。
カンガルーケアは、南米コロンビアの首都ボゴタで、保育器を用いない低出生体重児の在宅ケアとして2人の小児科医により始められたものである。
カンガルーケアの特徴は母子の広範な皮膚接触であり、赤ちゃんは広い範囲の皮膚について触覚や温覚を刺激され、圧覚への刺激は軽度なことだ。お母さんは上体を起こした体位で赤ちゃんを胸に抱くため、前庭固有覚も刺激され、運動覚の刺激は軽度である。
カンガルーケアは、全身の抱擁により母子が密着し、赤ちゃんの静睡眠が増し持続する。また、お母さんとの接近感が急速に育つことで、あたかも子官内に戻ったような相互の安心感・親密感を育み、親の子育ての原動力を生み出す効果がある。
カンガルーケアについて詳しく知りたい方はこちらをご覧下さい。

タッチケアとは?

タッチケアは感覚刺激マッサージとも呼ばれ、ゆっくりとした圧迫マッサージと四肢の運動を組み合わせた運動感覚刺激法である。
発達促進のためにタッチケアを行うときに、陥りやすい落とし穴として、訓練のように赤ちゃんの反応を無視して強いマッサージ、あるいは強制的運動をさせてしまいがちなことである。これには注意が必要だ。
タッチケアを始めるときは、赤ちゃんが興奮しないようにゆっくりと導入し、はじめのうちは手のひらによる癒しのタッチを頭やお腹から行うことが勧められている。
タッチケアの進行とともに赤ちゃんは目覚め、さまざまな表情をみせ、終了時にはしばしばエンゼルスマイルがみられる。このようにタッチケアを通して赤ちゃんとの交流を楽しむ気持ちが大切なでことである。
タッチケアについて詳しく知りたい方はこちらをご覧下さい。

スキンシップはやはり大事


スキンシップ、つまり赤ちゃんとお母さんの身体的な関わり合いは、赤ちゃんの情緒の安定、静睡眠の増加、良好な体重増加などの効果があると言われている。また、同時に、母親には赤ちゃんとの接触の喜び、赤ちゃんのために自分にもできることがあるという満足感、母性的愛情の誘発など、多くのことが期待されている。
子育ての原動力は、一方的に親のものでも子どものものでもなく、「共にある」ことから始まる。「共にある」ということは、単に親子がその場に居合わすだけでなく、お互いに気持ちを向け合い、それを受け止め合い、肯定的な情動を共有してそのことを喜び合うということである。そうなってこそ、親子の発達が獲得されていくのである。
乳幼児期の親と子の問題は、愛着関係の問題に還元されることが多いといわれている。愛着(アタッチメント)とは、特定の人物を求め近接を維持しようとすることである。
これは子どもと保育者の間に作られる深くながい愛情の結びつきであって、生後数年間に達成するものである。
これは保育者の子どもに対する一方的な働きかけではなくて、子どもと保育者の両者が相互に働きかけて創られる二者関係だ。
新生児の本能的なアタッチメント行動は、保育者からの微笑、日を合わせる、抱っこ、接触などによって活性化し、相互の制御システムとして両者に影響を与えていく。
子どもを無視する、虐待する、無責任な保育者に育てられた子どもは攻撃的、統制不全、行動異常を発達させやすいといわれている。
これらのことから、赤ちゃんが人間の心を持って育っていくためにも、スキンシップは非常に大切なものであることが理解できる。
また両親、特に母親による育てられかたが、子どものパーソナリティの発達に強い影響を及ぼすことがわかるはずだ。

機能性構音障害に対する構音訓練の開始年齢ついて言語聴覚士が解説!


機能性構音障害に対する構音訓練の開始年齢ついて


機能性構音障害の訓練開始年齢については、一般的には言語発達レベル4歳程度以上が適切であるといわれています。

ただし、誤りの起こり方や誤り方に一貫性がない場合や、被刺激性が見られる場合は、獲得の段階にあるので自然治癒する可能性も高いと考えられています。

しかし、本人が構音のことを気にして話さなくなる、いじめの対象にされるなど、社会心理的に不適応症状がある場合には構音訓練の適応となります。

また、誤り音を指摘されて話すことを避けようとするなど、二次的な問題が見られた場合も、構音訓練を積極的に検討する必要があるといわれています。

多田らは99例の機能性構音障害症例の検討で、訓練が順調に進まなかった要因として、訓練音数が多い、訓練開始年齢や訓練終了年齢が高い、低年齢で動機づけが低い、高年齢でコンプレックスが強く自信がもてない、訓練が就学に掛かり通院が困難となる場合などを挙げています。

さらに、訓練結果と訓練開始時期には関連があり、訓練開始が7歳以上になると訓練結果が「ほぼ正常」にとどまる症例が多く、就学後の構音訓練のほうが訓練効果は悪くなる結果となっています。

これらを考慮すると、発音に問題をもつ症例への介入は、就学前が妥当であると考えられます。

また自然治癒するであろうと考えられている症例においても、自然治癒しない症例も存在します。

構音の評価や音に結びつけた指導は専門性の高い領域であるため、言語聴覚士の介入時期の判断については、一般的な適応に縛られることなく、症例ごとに生活環境や対人関係なども考慮して慎重に検討すべきであると思われます。

【性の分化について】染色体レベルの性分化と器官レベルの性分化について解説!

染色体レベルの性分化

受精から出生までの時期を胎生期と呼ぶ。男女の分化はこの胎生期から始まり、性分化と呼ぶ。
性分化を性染色体レベルでみると、受精した時点で性染色体の組み合わせの違いによって男女間の差は存在しているといえる。ヒトの細胞には、常染色体44本と性染色体2本の合計46本の染色体がある。
性染色体は、男性がXY、女性がXXとなっている。精子と卵子の生殖細胞が形成される過程で減数分裂が生じ、精子、卵子の染色体の数は半分になる。ここで精子は、X染色体をもつもの(22+X)、Y染色体をもつもの(22+Y)の2種類に分かれるのである。
一方、卵子はすべてX染色体をもつ(22+X)。そして受精によって再び46本の染色体をもつ個体ができる。受精の際、X染色体をもつ精子が卵子と結ばれると44+XXで女子、Y染色体をもつ精子が卵子と結ばれると44+XYで男子となるのである。

器官レベルの性分化

上記に記した性染色体レベルの男女の違いはまだ絶対的なものではない。男性の精巣、女性の卵巣のもとになる性腺原基は、胎生6週までは男女による構造上の違いはなく、精巣、卵巣のどちらにでもなれる可能性をもっている。
ここで重要な働きをするのが、Y染色体のなかにある精巣決定遺伝子だ。性染色体の組み合わせがXYの個体では、精巣決定遺伝子が働き、性腺原基は精巣(睾丸)になるように導かれる。この時期は7週前後であることがわかっている。
一方、性染色体の組み合わせがXXの個体は、精巣決定遺伝子が働かず、性腺原基はそのまま分化し、卵巣になる。このようにみると、精巣決定遺伝子のような特別な遺伝子が働かない限り、身体的性はもともとは卵巣に分化するようなかたちになっている、ということができるでしょう。
さらに、個体の内性器の発育には、ウォルフ管かミュラー管のどちらが発達してくるかが関与してくる。この段階では、男の子の場合、精巣のなかから抗ミュラー管ホルモンが分泌され、ミュラー管を退縮させ、同時に精巣からアンドロジェンが分泌され、ウォルフ管の発育を促す。その結果、ウォルフ管が男性内性器に分化していくのである。
一方、女の子の場合、抗ミュラー管ホルモンやアンドロジェンの作用を受けないで、ミュラー管がそのまま女性内性器に分化する。
性分化を外性器のかたちからみると、妊娠12週くらいで外見上の男女の区別が可能になる。そして、この時期を「性の発生期」と呼ぶ。
そして、こうした生殖器官にみられる男女の特徴、出生時の性の分化を第一次性徴と呼ぶ。
このように、第一次性徴と呼ばれる、生殖器官の違いに基づく性の分化は出生前の胎生期に完了する。そして思春期に入ると、生殖器官以外の身体的特徴に基づく男女の違いが明確になり、生殖能力が完成する。これを第二次性徴と呼ぶ。