ホールディング、オブジエクトプレゼンティングについて言語聴覚士が解説!

ホールディング

乳幼児は柔らかくて暖かな存在を求め、その近くに身を置くことによって安心感を得て生活していく。
ウイニコットは、母親が子どもの安心感を保障するこのようなシステムをホールディングという言葉で示している。
ウイニコットは、母親の機能として、子どもを抱き支えるホールディング、子どもをあやし大切に扱うハンドリング、さまざまな対象や人的環境を差し出し経験させるオブジェクトプレゼンティングという3つの機能をあげている。
このなかで、ホールディングとは、子どもを抱き、支える機能である。
これは、単に物理的に子どもを抱っこしたり支えたりすることだけを指すのではない。
生きている世のなかのほとんどの事柄がまだわからない、理解できない、人生のごく早期の乳幼児にとっては、ホールディングされることによってまず安心感を得る。
そして、人格を持った存在として大切にハンドリングされることによって徐々に自己の存在や大切さに気づき、さらに、さまざまな経験を与えられるオブジェクトプレゼンティングのなかで対人関係をひろげ、少しずつ外界の様子を学び適応していくすべを身につけていくのである。
子育ての初期においては、普通、子育ての主役は母親になる。
これには、女性にしか妊娠や母手しの授乳ができないこと、また、妊娠期間からおなかのなかの子どもと一体感を持って過ごすことなどの生物学的な条件や、社会や文化の背景が大きく影響しているようである。
この時期は、さまざまなことに注意を向けなければならない一方で、生活上の多くの制約を受けている、非常に大変な時期なのである。
そして、子育ての主役となっている母親を精神的に抱き支えることが、父親をはじめとする家族の大切な役割なのである。
「お母さんは、お父さんをはじめとする家族にホールディングされていてはじめて、わが子をホールディングできる」のである。
母親を支え、また、配偶者としてその他の家族のホールディングをリードするという父親の役割は、つい見過ごされがちだが、子育ての重要なポイントなのである。

オブジエクトプレゼンティング

正高信男は、絵本の読み聞かせ実験を通して、より積極的な父親の役割を述べている。
彼の行った実験は、1歳半の女児に対して、計34人の男子学生が子どもに向かって絵本を読み聞かせを行うというものだ。

育児語

女性が乳幼児に語りかける際には、平常時より声が高くなったり抑揚が誇張され、マザリーズまたは母親語と呼ばれている。
実験では、男性が読み聞かせを行った状況でも、平常時より声が高くなったり抑揚が誇張されたりした母親語が出現していることが示され、育児語という言葉で呼び換えている。
男性の読み聞かせの声は、音の高さ自体は、もともとそれほど高くはなく、乳幼児が相手だからといって女性ほど高くなることはないのだが、抑揚の変化の幅は女性によるそれを上回っている結果となっている。

オブジエクトプレゼンティングについて

さらに一連の実験のなかで、このような男性による育児語の特徴は、読み聞かせる絵本の内容によってその効果が異なることが明らかにされている。
つまり、クマや汽車を題材にした楽しく可愛い内容の絵本では、女性による母親語のほうが子どもの注意をひきつけ楽しい雰囲気をかもし出す傾向が高いのだが、オバケや怪獣が出てくる怖い内容の絵本では、逆に男性による育児語のほうが乳幼児の注意をひきつける効果が高いのだ。
子どもが生活する環境は、必ずしも安全な環境ではない。
家の周りの側溝やストーブのそばなどの危険な場所では、子どもの活動に制限を加えなければならないことがある。
ストープに手を伸ばそうとしたわが子を見て、母親がとっさに金切り声をあげて子どもを制止することがある。
とっさの場合にはこの方法はもちろん有効だが、普段から言い聞かせておくためには、男性すなわち父親による育児語の語りかけのほうが効果を発揮するようである。
子どもが生きていく世界は、楽しいものや可愛いものだけではない。
怖いもの、畏れるべきものをも経験させていくオブジェクトプレゼンティングは父親の得意技だと考えられる。
正高は、子どもを外の世界へ導き、困難に立ち向かうことのできる存在へと発達させるために見守り、必要に応じて手を差し伸べ、前方へと踏み出す手助けをする、たんなる“もうひとりの母親"ではない父親のあり方を提案している。

乳児期前期に毛布などを好きになるのはなぜ?移行対象とは?

乳児院や養護施設などでは、子どもが、汚れてにおい立つような毛布やタオルケットを常に持ち歩く姿がまれに見受けられる。なぜ、毛布なのだろうか?
この問いに対しては、ハーロウによるアカゲザルの赤ちゃんによる実験がヒントを与えてくれる。

愛着を抱かせる刺激

ハーロウは、生後すぐにアカゲザルを母親から引き離し、母親の代わりに2種類の代理母親のもとで生活させた。代理母親の一方は、むき出しの針金でできており(ハードマザー)、もう一方は針金の上をやわらかい布で覆われた構造になっていた(ソフトマザー)。
8頭の生まれたてのアカゲザルを1匹ずつ檻に入れ、その檻のなかにはハードマザーとソフトマザーの両方の代理母親がいる。8匹のうち4頭は、ハードマザーの胸に仕掛けた哺乳びんからミルクを飲み、残りの4匹はソフトマザーの胸に仕掛けた哺乳びんからミルクを飲むという2種類の条件を設けた。
そうして、アカゲザルの赤ちゃんが、どちらの代理母親のもとにいる時間が長いかを測定した。
結果は、ハードマザーとソフトマザーのどちらの母親からミルクを与える条件でも、アカゲザルの赤ちゃんは、明らかにソフトマザーにしがみついて生活する時間が長かったのである。
このことは、アカゲザルの赤ちゃんは、生まれながらにして柔らかな感触のものを求める性質があることを示している。
ハーロウはまた、同じようにソフトマザーとハードマザーに育てられているアカゲザルが母親から離れているときに、動くおもちゃをそばに置いてみた。
赤ちゃんザルは恐怖を感じて、どちらの母親から授乳されているかにかかわらず、ソフトマザーの方に飛んでいってしがみついた。
さらにその後は、ソフトマザーから少し離れたおもちゃに関心を示し、またソフトマザーにしがみつくことを繰り返しながら、徐々におもちゃへの関わりを持つことができるようになったのである。

移行対象

このような現象は、人間の赤ちゃんにもみられる現象で、母親(愛着対象者)との間で安定した信頼関係を築けている子供は、母親との間での視線の交換を繰り返しながらその能力を伸ばしていくことができるのである。
下記の絵はスヌーピーのキャラクターで知られる有名な漫画のカットである。
このなかで頬に毛布をあて指をしゃぶっているライナスは、常に毛布を手放さず、彼の心を不安定にさせる事態に遭遇したとき、このようなしぐさで安心感を取り戻そうとするのである。このようなしぐさで安心感を取り戻そうとするのである。
乳児期には、安心感の源は母親の存在であり、声であり、抱擁であったりする。
幼稚園に入園したばかりの幼児は、園内で何かトラブルがあると母親の呼び名を呼んで泣く。
この頃までの子どもにとって母親は無条件に子どもの悲しみを受け入れ、あらゆる問題を解決し、必ず味方になって助けてくれるスーパーな存在なのである。
ところが、幼稚園には常時母親がいてくれるわけではない。
そこで、母親の代わりのものとして、母親を思わせる柔らかな存在であるところの毛布が、母親に代わって彼の安心感を取り戻させる材料となるのである。
このようなお気に入りの毛布やぬいぐるみなどを移行対象と呼んでいる。
この移行対象は、一般に母親を思わせ安心感の源になる一次的な移行対象から、友達のような人格を持ったぬいぐるみのような二次的な移行対象、さらに、自分の分身として存在する三次的な移行対象へと移り変わっていくのである。

乳幼児期の子供が「うそをつく理由」と「対応方法」を言語聴覚士が解説!

乳幼児がある程度言葉を話すようになると、真実とは異なることを言葉にして表出してしまうことがある。
“真実とは異なることを話す"ということを“うそ"と定義するならば、乳幼児期からうそが生じることはありえる。
乳幼児期は、急速に言語の能力が発達する。
言葉の発達は、子どもが育つ環境や持って生まれた性質などに左右され非常に個人差の大きな領域である。
また、乳幼児期の言葉は、言葉を媒介にした思考能力や、認知能力全般の発達にも左右されている。
そのため、乳幼児期にはうそをついてその場を逃れる意図がない、“結果的にうそになってしまったうそ"が発生することがある。

記憶容量の未発達のために生じるうそ

幼児は、よく周囲の親しい大人の口真似をして言葉を覚えていく。
そのため、周囲の大人たちからみれば、子どもが少々大人びた話し方をするのを見て、幼児でも大人と同じレベルの記憶能力や認識能力を持っているように感じてしまう。
ところが、実際には幼児はまだまだ発展途上中である。
記憶の容量についていえば、大人が一度に記憶しておけるものごとの数が5~9個であるのに対して、幼児ではだいたい年齢-1個といわれている。
たとえば、3歳の乗り物が大好きな幼児が幼稚園の保育室でロボットのおもちゃで遊んでいるときに、友達が車のおもちゃを持ってきた。
またもうひとりの子どもが、飛行機のおもちゃをもって来て、一緒に遊び始めた。
このような状況が続いた後で、この子どもに最初にどのおもちゃで遊んでいたのかを尋ねると、最初にロボットで遊んでいたことを思い出せずに、最も印象の強かった飛行機や車のおもちゃで遊んでいたと答えてしまうことがある。

現実モニタリングが未発達なために生じるうそ

幼児は、自分の願望と現実の区別がつかないことがある。
そのため、「~してくれたらいいなぁJという願望があると、その願望が実現していたかのように感じてしまうことがあるのである。
ですから、きょうだいでひとつずつのお菓子を食べているときに、先に食べ終わった弟が、お兄ちゃんが目を離した隙にお菓子をとって、「お兄ちゃんがくれた」と主張することが生じうるのである。

自分を守るためのうそ


2歳から3歳前後の時期は、第一反抗期と呼ばれ、お父さんやお母さんが指示したことに対して、「イャッ!」という言葉でもって、従うことを拒否することが多く見られる。
これは、それまで親、特に母親との間で強い一体感を持って生活してきた乳児期から幼児期の初期に移行するこの時期に、子ども自身の意図と母親の意図が必ずしも一致しない経験を重ねるうちに、自分は母親とは独立した存在であることを理解し、自らのことを“自分で決めたい"という自律性を獲得しつつあるために生じる現象なのである。
お父さんやお母さんにとってはやっかいな時期ではあるのだが、見方を変えれば、子どもにとっての世のなかの認識や自己主張の能力が芽生えてきた、発達の証なのである。
子どもが自我をはっきりと持つようになるにつれて、親や保育者との間での意思の葛藤が生じることが増えていく。
子どもが親の意思に反する行動を行って罰を受けたり、厳しく叱責されたりすることもある。
子どもにとって、罰を受けることはできれば避けたいことであるし、あまりに厳しい叱責は、親から見捨てられてしまうことへの恐怖にもつながる。
そのために、叱られないように、あるいは罰を受けないように、苦し紛れのうそをついてしまうことがある。
たとえば、お母さんが留守の間に我慢できずにお菓子を食べてしまった幼児が、「おじさんが来て、お菓子を食べちゃった!」などと言うことがある。
多くの場合、親や保育者は、子どもがうそをついたこと自体に驚き、逆上して、激しく問い詰めたり、叱ったりする。
このようなことが続くと、子どもはうそをついてしまった自分を守るために、うそにうそを重ねていってしまう。
さらに、親がどこまでも自分を追い詰めていく恐怖感を感じるようにもなり、それが親子関係の安定を崩してしまう危険性もある。
意図的なうそであっても、子どものうそのほとんどは、子どもの認知能力や他者の心のうちを推測する能力の未熟さのために、簡単に見破られてしまう。
子どもがうそをついたことを問い詰めて責めると、子どものうそはますます複雑化し狡猾なものに変わっていく危険性がある。
そういった場合は、子どもがうそをつかなければならなくなった心情を察して、その気持ちを代弁してあげることを通して、うそをつかずに素直に心情を表出することを身につけさせましょう。

親がうそをつくことの真似


大人は、時と場合によって、うそを方便として用いることがある。
大人が、うそをつく手本を見せ続けると、子どもがこれを観察学習して身につけてしまうこともある。
意図的にうそをつかない子どもに育てたいのならば、大人もまたうそをつかないで問題を解決する望ましいお手本を示すことが大切である。

レビー小体型認知症と進行性核上性麻痺の方の摂食嚥下障害への対応

レビー小体型認知症と進行性核上性麻痺の方の嚥下障害の特徴

レビー小体型認知症と進行性核上性麻痺で、もっとも重篤な嚥下障害の所見は誤嚥です。
誤嚥は声帯を越えた異物の侵入と定義され、固形物よりも液体で観察されることが多いです。
解剖学的な構造上、声帯より下方で異物の侵入を遮るがないため、誤嚥量が多ければ、そして咳漱による異物の排出がなければ、異物が肺野まで流れ込み、肺炎を起こします。
レビー小体型認知症では不顕性誤嚥(ムセのない誤嚥)が多く、患者もその家族も重篤な嚥下障害に気づいていないことが多いです。
誤嚥はレビー小体病患者の肺炎発症のリスク因子であり、VFで誤嚥したレビー小体型認知症患者の検査後2年以内の肺炎発症率は83%です。
それに対し、誤嚥を認めなかったレビー小体型認知症患者の2年以内の肺炎発症率は4%に過ぎません。
レビー小体型認知症患者の嚥下造影検査(VF)では、口腔期の異常は50%、咽頭期の異常が17人85%に認められると言われています。
そして、レビー小体型認知症患者の45%は口腔期と咽頭期の両方に異常が認められます
レビー小体型認知症患者の口腔期の動きは認知機能と相関がある一方で、咽頭期は認知機能と相関しないとされています。
進行性核上性麻痺では嚥下障害が80%に現れ、死因は肺炎が最も多くなります。
進行性核上性麻痺は発症早期には嚥下反射の惹起は良好ですが、進行すると嚥下反射の惹起も遅くなります。
また、無動寡動のため口腔期の障害が強くなり、食物の送り込みが困難になります。
進行性核上性麻痺は、レビー小体型認知症に比べると誤嚥した時にむせることが多いが、むせたときの呼気流速が弱くなり、やがて肺炎を繰り返すようになります。

レビー小体型認知症と進行性核上性麻痺の方の摂食嚥下に影響する病態とその対応


レビー小体型認知症と進行性核上性麻痺の摂食嚥下には認知機能や運動機能の障害が影響します。 レビー小体型認知症は覚醒レベルの変動や起立性低血圧のため、食事中に急に覚醒レベルが低くなることがあります。
そのため、食事中の覚醒レベルが低いと、誤嚥や窒息のリスクが高くなります。無理に食べさせず、覚醒レベルが改善してから食事するようにして対処します。
覚醒する時間帯がバラバラであったり、一度に食べられる量が少なかったりする場合は、食事の回数を多くするなどして対応をするとよいでしょう。
レビー小体型認知症患者で、「食物に虫がいる、虫が見える」といった幻視や「食物に毒が入っている」といった妄想がある場合、錐体外路症状が出にくい非定型抗精神病薬を試す場合があるそうです。
その場合、過鎮静に前頭葉徴候がある進行性核上性麻痺患者は黙々と食物を口に運び続けることがあります。 嚥下のスピードよりも捕食のスピードが速いと激しくむせ、口腔に詰め込んだ食物を吹き出すことがあります。 介護者は声掛けし、口の中に食物を詰め込まないようにペーシングします。 注意が散漫な進行性核上性麻痺患者は窒息を起こしうるため、食事以外に気を惹くものを避け、声掛けするなどして食事に集中させる必要があります。
摂食動作に影響する運動機能の障害として、どちらの疾患も無動寡動が現れます。無動寡動が強いと、嚥下においては咀囑に時間がかかるようになり、舌による口腔から咽頭への食物の送り込みも悪くなります。
そういった場合は、食物のサイズを小さくし、まとまりを持たせると食べやすいことがあります。
また、レビー小体型認知症では口腔での食物の保持が悪く、口唇から食物が洩れたり、不用意に咽頭に送られた食物が誤嚥の原因になったりすることがあります。
そのような症状を認めた場合には、トロミをつけて対応します。
進行性核上性麻痺では頸部が後屈位になると口腔に入れた液体が意図せずして咽頭に流れ込み、誤嚥の原因になります。 このような場合にもトロミで対応するとよいでしょう。
誤嚥が疑わしい患者には、誤嚥性肺炎の予防のため、口腔の知覚神経を刺激する口腔ケアは有効です。
食事中の姿勢は、レビー小体型認知症ではしばしば上体は前屈し、頸部は後屈します。
頸部の筋強剛が強くなければ、上体を起こすことで、頸部後屈は解消されることが多いです。 上体を起こした姿勢は、食道での食物の通過も良くなります。
上体を起こすことが困難な患者であれば、食卓を低くし、頸部が過伸展しないようにします。 進行性核上性麻痺はむしろ上体が直立で、頸部は伸展位になります。頸部の過伸展は咽頭での食物の通過を障害するだけでなく、誤嚥の原因になりうるため危険です。
できるだけ下顎を引いた姿勢をとるように調整します。
また、眼球運動制限のため下方視ができない進行性核上性麻痺患者は、捕食の際、食物をよくこぼします。 食卓を高くして食物が視野に入るように調整したり、捕食しやすい食具を導入したりして対処するとよいでしょう。

幼児の困った行動をなくす工夫「計画的無視」「タイムアウト」について言語聴覚士が解説!

注目獲得が目的で困った行動をする場合の対応方法

子どもの困った行動に影響を及ぼす大きな因子のひとつとして、親や周囲の人々が子どもに“注目を与えること"があげられる。
例えば、幼稚園や保育所に通う子どもが時力下品な言葉を覚えてきてしまうことをあげよう。
家庭に帰って子どもがこのような言葉を口に出すと、お父さんやお母さんは思わず吹き出してしまったりすることがある。
そうすると子どもは得意げに何度も何度も繰り返す。
そして、大事なお客さんが来ているときに、子どもがお父さんやお母さんの注目をひきたくて下品な言葉を口に出してしまい、お父さんもお母さんも大赤面などという事態が稀に生じる。
さて、上記の例のなかにあるように、子どもの行動に反応して笑ったり声をかけたり、微笑みかけたりすること、あるいは誉め言葉を与えることや、叱ることも含めて、これらはすべて子どもに“注目を与えること"に相当する。
最も身近で信頼できる存在である、お父さんやお母さんから注目を与えられることは、乳幼児の行動に大きな影響を及ぼす。
親が与える“注目"は、子どもが行動を学習する際の行動を強める因子(強化子)としては、最も強力で汎用性に富んだものである。
先ほどの例では、お父さんとお母さんが、子どもの下品な言葉に対して吹き出してしまい、楽しい雰囲気が形作られたことが、子どもの「下品な言葉」という困った行動を強める強化子となってしまったのである。
周囲の大人の注目を獲得するために繰り返し行われるこのような行動を、注目獲得行動と呼ぶ。
この注目獲得行動は、幼稚園や保育所で着手の先生がよくはまってしまうトラップの例でもある。
保育活動中に、クラスの集団から離れて困った行動を繰り返す子どもを、他の子どもたちを待たせておいて叱りに行ったりすることがよくある。
当該の子どもは叱ったときにはシュンとなるのだが、先生が目を離すと、また困った行動をし始める。
これは、先生が叱ること(この時間は先生を独占できる)が、子どもにとって困った行動を強める強化子となってしまっているためで、子どもは先生の注目をひきつけるために困った行動を繰り返しているのである。
このようなときには、行動を強めている強化子を取り去ることが有効である。
つまり、あらかじめ危険なものをできるだけ取り除いておいた上で、一時的に子どもに注目を与えない(計画的無視)ようにするのである。
このようにすると、子どもの困った行動は一時的に激しくなったりするが、さらに注目を与えないようにしつづけると、やがて子どもの困った行動はみられなくなっていく(消去)

計画的無視について

先生や親にかまってもらうことを目的として行われる注目獲得行動に対して、計画的無視の手法がよく用いられる。
この方法では、子どもの特定の困った行動を無視する。
決して子ども自体を無視することではない。また、親や先生自身が興奮してしまっているときには、自身が一時的に子どものいる部屋から出て行く非隔離型のタイムアウトも有効である。

注目獲得が目的ではない困った行動


子どもの困った行動は、親や保育者の注目を目的としない形でも現れる。
たとえば水遊びをしていて、おもしろくておもしろくて、自分の服や周囲のものがびしょぬれになってしまっても、それにかまわずに遊び続けてしまうことがある。
この場合は、親や保育者の注目が困った行動の強化子になっているのではなく、活動そのものの楽しさが因子(強化子)になっているのである。
そのため、親や保育者が注目を与えなくても、活動そのものにはほとんど影響を及ぼしない。
このような注目が目的ではない困った行動に対しては、あらかじめルールを定めておくことや、子どもの興奮を冷まさせるためのタイムアウトなどのテクニックが有効である。

タイムアウトについて

なにか困った行動に熱中してしまっている子どもを、退屈な場所に連れて行き、ひとりで座らせておいて興奮を覚まさせる方法。
暗いところや恐怖を覚えさせることが目的ではなく、ねらいはあくまで感覚遮断による沈静化であることに注意する必要がある。

遊びと仲間関係の発達について言語聴覚士が解説!「ひとり遊び」「並行遊び」「連合遊び」「共同遊び」「ギャングエイジ」とは?

「ひとり遊び」「並行遊び」「連合遊び」「共同遊び」とは?

童謡「めだかの学校」のなかに、「みんなでお遊戯しているよ」という歌詞があるが、人間の子どもも小さい頃からみんなで遊ぶのだろうか。ここでは、子どもの社会性、すなわち対人関係の発達という観点から考えてみたいと思う。
パーテンによれば、社会性の発達に着目すると、乳幼児期における遊びの形態は次の4段階に分けられるとされている。

ひとり遊び

乳児期に多く見られる遊びの形態で、読んで字のごとく玩具を相手にひとりで遊ぶ状態を指す。
玩具の取り合いをする以外は、基本的に他の子どもたちと関わることはなく、自分だけの遊びに熱中する。保護者や保育者の援助を除けば、基本的には遊び相手をあまり必要としない遊びである。

平行(並行)遊び

3歳児頃に多く見られる遊びの形態である。たとえば、絵を描いたり、折り紙をしたりと、皆で同じ遊びをしてはいるのであるが、そのなかで子ども同士の関わりはなく、同一の遊びが平行して展開している状態である。
一緒に遊んでいるという感覚があるという点で、ひとり遊びよりも社会性の発達がみられるが、隣で遊んでいるのがどのような子でも、まただれかが同じ遊びを始めても気にせず、他の子どもに干渉したり、協力したり、という行動はみられない遊びである。

連合遊び

3、4歳児くらいにみられる遊びの形態で、一応、「子ども同士で遊ぶJという形態である。遊びのなかで、内容についてのやりとりや会話があり、玩具の貸し借りをする。
また、時には遊ぶ相手のえり好みをしたり、場合によっては拒否したりもする。しかしながら、一緒に遊んでいる子どもはほぼ同じ行動をしており、分業をしたり、リーダーシップをとる子どもがいるということはない。
また、同じ遊びをしていても、イメージが異なっていることがあり、たとえば大型積木で囲いを造って一緒に遊んでいる場合でも、ある子は「家」のつもり、別の子は「船」のつもり、ということがある。

協同遊び

幼児期における仲間遊びの完成形といわれ、およそ5歳以降にみられる。一緒に遊びながら、遊びのなかには分業がみられ、それぞれの子どもが違った役割をとりながら、一つの遊びを展開していく。
これに伴って、遊びのなかにルールを取り入れることが可能になり、子ども同士でルールを話し合ったりもする。また遊びのなかでリーダーシップをとる子ども(いわゆるガキ大将)など、子どものなかに社会的な地位が生まれる。

けんかも大事な学習

遊びは高次になるほど友達との関係や役割が複雑化するというように、社会性の発達の影響を強く受けているといえる。またその反対に、友達と一緒に遊ぶことで、自己を表現、主張したり、また友達のことを考えて我慢したりするなど、遊びを通して社会性の発達が促されるともいえる。
遊びのなかでは、時にはけんかやいざこざが起こる。特に、幼児期の子どもの思考には「自己中心性」と呼ばれる特徴があり、他の子どもの意見を取り入れにくく、遊びのなかでのトラブルの元になる。
しかし、幼児期のけんかはその場限りのものが多く、児童期以降にみられるいじめのように、長期化するものは少ないといわれている。ところで親や保育者は、このような子どもたちの間のトラブルにどう対処すればよいのだろうか。
「みんな仲良く」という標語の元に、けんかをいけないもの、としてとらえがちかもしれないが、子どもたちは遊びのなかでけんかやいざこざを体験することにより、例えば仲良くできなかった時の気分を味わうことで、仲良くすることの大切さや、対人関係をうまく結ぶにはどうしたらよいか、といった社会性に関する様々なことを学習するのである。
もちろん、けがをしそうだったり、明らかに危険な場合は大人の介入もやむえないが、けんかやいざこざも社会性の発達にとって意味を持つものであると考え、ある程度は見守る姿勢も必要ではないだろうか。
ちなみに幼稚園教育要領においても、「人に対する信頼感や思いやりの気持ちは、葛藤やつまずきをも体験し、それらを乗り越えることにより次第に芽生えてくることに配慮すること」(第2章ねらい及び内容人間関係)と、子どもの遊びにおけるけんかの持つ意味が示されている。

児童期の遊び仲間「ギャング・エイジ」とは?

さて、ここまで乳幼児期の遊びの形態についてみてきたが、それ以降の児童期ではどうなるのだろうか。児童期の中期ぐらいになると、同性、同年齢の、気の合う仲間との非公式的な(クラスや班などの外的な基準で決められたものではない)3~5人くらいの小集団による遊びが展開されている。
グループ内での団結が非常に強く、自分たちのルールや秘密の遊び場を作ったりする一方、ほかの集団や大人からは距離を置くようになる。このような集団はその特徴から「ギャング・エイジ」と呼ばれている。

誰もが悩む2~3歳の第一次反抗期について言語聴覚士が解説!第一次の反抗期の意味とは?

自我の芽生えと第一次反抗期

2、3歳の子どもを持つ保護者からの相談に、「最近、私の言うことに対して、何でも「ダメ!」「イヤ!」と言うようになり、急に反抗的でわがままになったようで困っている」というものがある。
さらに、相談は続き「この前も、出かけるときに私が『この服を着ていこうか』と薦めても「イヤ!」と言い、「じゃあ、こっちの服は?」と言っても「イヤ!」と言い続け、出かけられずに困ってしまった。
少し前までは素直ないい子だったのに……子育ての仕方を間違ってしまったのだろうか」と。
確かに、このように子どもが言うことを聞いてくれなかったり、反抗的だったりするのは、親にとっては悩みの種だし、ともすれば自分の子育てについても疑間を感じてしまうことだろう。
皆さんは、このような子どもの姿をどう思うだろうか。
何か問題を抱えているのでは、と思う方も多いと思うが、じつは、この時期の子どものこのような姿は、発達のなかで(第一次反抗期」と呼ばれる、だれにでもある、ごく普通の姿なのだ。
それではなぜ、子どもはこの時期になると急に親の言うことに反抗的になるのだろうか?

自我が芽生える

反抗期を説明するキーワードの一つに、「自我の芽生え」がある。
1歳くらいまでの乳児は、自分と母親とが別の存在であるという明確な認識を持っていないといわれている。
ですから、母親の言うことには素直に従うことが多いし、逆に母親が見えなくなると、とたんに不安定になり泣き出したりする。
そのような時期を過ぎて、2、3歳頃に起きる「自我の芽生え」とは、まさに「私は親とは別の存在である」ということを認識することだ。
自分を他の誰とも違った、独立した存在として認識できるようになることは、人格発達の上でも非常に重要な一歩であるといえるのである。

第一次の反抗期の意味とは

自己を主張する

自分は独自の存在であるという意識が強くなると、親との間に対立が起こるようになり、反抗期が訪れる。
親の指示を拒否し、自己主張が強くなるということは、一方の当事者である親からすれば、今まで可愛がってきて、そして素直になついてきたわが子がはじめて自分の言うことに反抗するわけだからだ、ショックも大きいだろう。
しかし反抗期は、反抗という形により自己を表現する能力の発達として考えられるので、できるだけ肯定的にとらえる姿勢が必要だ。
逆に、適度な反抗を起こさないということは、単に「素直な良い子」というだけでなく、自己を表現する能力の乏しさととらえることもできる。
また、家庭外、たとえば幼稚園や保育所において、他の子どもたちとの関わりのなかで自己を十分に表現できないという、社会性の問題につながる可能性もある。
反抗が起こらない原因の可能性としては、発達上の問題も考えられるし、親が過保護でいつも子どもの先回りをして、子どもが自発的に、自由に活動する機会を与えなかったり、また親が子どもに対して威圧的で子どもが自己表現することができないなど、育児をめぐる環境に問題がある場合もある。
自分は独自の存在であるという意識が強くなると、親との間に対立が起こるようになり、反抗期が訪れ、親の指示を拒否し、自己主張が強くなるのである。

自分に興味を持つ

自我の芽生えに伴うもう一つの側面として、自分の名前(名札や表札、自分の名前を書いた持ち物など)や、自分を示すマークに非常に興味を持つようになる。
また、親の言うことには拒否的である一方で、親の手を借りずに、自分で何かをすることや、自分で決定することには非常に積極的に取り組むようになる。つまり、自主性、自発性が育ってきているといえるのだ。
自分で何でもやってみたいわけだからだ。

親が手を貸そうとすると、強く拒否する。
つまり、親への反抗は子どもの自発性の裏返しともいえるのだ。

反抗期の子どもとうまく付き合うには

服を着てもらうには

ところで、冒頭の悩み相談に関して、子どもに服を着てもらうにはどうしたらよいだろうか。
ここまでの説明からもうお気づきかもしれないが、親が薦めるものには拒否的なのだが、自分で決定することに興味を持つということを考えてみよう。
一つのアイデアとして、子どもの前にいくつかの服を並べ、「さあ、○○ちゃんはどの服が着たいかな。自分で選んでごらん」と言えば、子どもは喜んで洋服を選んで着るかもしれない。

子どもを尊重しつつ、しつけも大切

反抗期を通して育つ子どもの自主性、自発性は、決して子どもが身勝手になることや、親が子どもの言いなりになることを示すものではない。
子どもは自己を主張することと同時に、それを年齢なりに調節したり、時には周囲のことを考えて我慢をすることを身につけることも必要なのだ。
その意味でも、親は子どもの反抗期の特性を受け止めながら、同時に子どもに対するしつけという立場も忘れてはならないといえるのではないか。

子供の発達で大切な見立て遊びとは?見立て遊びでの発達分類や「象徴」「象徴機能」について言語聴覚士が解説!

見立て遊びとは?


幼児期の子どもたちの遊びのなかで多くみられるものに、「ままごと」や「電車ごっこ」などの「ごっこ遊び」がある。
そのなかでは、たとえば砂がご飯に、泥水がコーヒーに、縄が電車に、というように現実とは異なった物を用いて、いわばその「ふり」をして遊んでいるといえ、このような活動を「見立て」と呼ぶ。
見立てはだいたい1歳半頃から見られはじめ、2歳を過ぎると、遊びのなかで見立てを行う「象徴遊び」が活発化する。
心理的発達に伴って、子どもは身の回りの事物を心のなかで別のものに見立てることが可能になり、それによっておもちゃや素材などの事物との関わり方も変化していく。
幼児期後半では、友達同士でイメージを共有することができるようになり、見立てたものを友達同士で共有することによって、遊びはよりいっそう複雑化していく。
この、見立てる能力の発達という観点から、村田は遊びを下記に示すような4段階に分類している。

「見立てる」能力の発達による遊びの分類

・第1段階(0~1歳)

事物はそのままの形で、子どもの身体運動遊びの対象となる。

・第2段階(2~3歳)

事物は別の事物の象徴となる。たとえば枕が人形になる。子どもの関心は象徴されているもの、およびその行為活動に注がれる。

・第3段階(4歳~)

事物はそれを媒介として対人活動が行われるものとなる。たとえば、風呂敷はドレスとして白雪姫遊びの展開をうながす。これは、象徴が仲間のあいだで共通化されるときに可能となる。

・第4段階(5歳~)

事物は遊びのなかで純粋に記号となるか、さもなければ不必要になる。

「見立てる」ために必要な力

この「見立てる」という活動は、非常に高度な認知的能力を持っているからこそ可能になるもので、特にこの活動にとって必要な能力には、表象と象徴機能とがある。

表象とは

表象とは、日の前にそのものがない場合でも、心のなかにそのものや事柄を思い浮かべる、イメージすることのできる能力のことだ。
たとえば、ままごとで茶碗に入った砂をご飯に見立てることができるようになるには、当然ながらご飯に関する知識がなくてはいけないが、それに加え、目の前にご飯がなくても、それを心のなかに思い浮かべることができなくてはならないのである。

象徴機能とは

象徴機能とは、事物や事象を、記号などの別のものによって認識する働きのことを指す。
砂をご飯に見立てている場合、子どもは砂を本来のものとは異なった、ご飯という別のもの(象徴的記号)としてとらえていると考えられる。
つまり子どもは「砂一ご飯」の関係を、「意味するもの一意味されるもの」として認識しているのだ。
このようなことができるということは、子どもが、日の前に存在する現実世界をそのまま認識するだけではなく、別のものに置き換えて、心のなかで操作する能力を持っていることを意味する。

見立てからわかる、子どもの持つ概念

見立てるという活動は、表象によって心のなかにイメージしたものを、日の前にある別のものに置き換えるという象徴機能によって成立していると考えることができる。
また、子どもは見かけが似ているものを見立てるだけではない。たとえば、大きい積木を「お父さん」、小さい積木を「赤ちゃん」というふうに見立てていることがある。これは、子どものなかに「大きいもの=大人」「小さいもの=子ども」という概念があることを示すものだが、このように漠然としたイメージもまた、見立てには利用されているのである。

ものを見立てる子どもの心


ものを見立てている子どもの心理状態は、どのようなものなのか。たとえば、ままごとで泥水をコーヒーに見立てている場合、おいしそうに飲むふりはしても、本当に飲んでしまうことはない。
それは、確かに遊びのなかでは「コーヒー」であっても、子どもは心のなかで、「本当は泥水だけれども、ここ(ままごと)のなかではコーヒーの『ふり』をしている」ということを認識していることを示している。
つまり、子どもなりに現実の世界と想像の世界とを区別しているのである。

また、時折大人に対して泥水のコーヒーを見せて喜ぶなど、見立てているものをアピールすることがあるが、これは、「泥水を、コーヒーに見立てているよ」という面白さについて、大人の承認を求めている行動と考えることができる。
子どもの「ごっこ遊び」は一見、本物が手に入らないのでとりあえず代わりのもので妥協しているような、いわゆる「子どもだましな世界」に見えるかもしれない。

しかし、子どもは高度な認知能力を働かせながら、見立てること自体を楽しんでいるのだ。
そのように考えると、子どもはわれわれが思うよりもずっと多くの能力を発揮しながら遊んでいるといえよう。